コタツ記事は有りだと思う。けど僕は書きたく無い

実際に商品を購入したりサービスを利用していないにも関わらず書かれるいわゆるコタツ記事。

ぶっちゃけ極論言っちゃえば、コタツ記事って有りだと思うんですよね。

 

コタツ記事って何が良いかというと何より量産出来る事。

これは有名アフィリエイターのコロネコ屋さんも仰ってる事で、特に物販アフィリエイト参入初期の初心者には記事を量産出来るネタとしては非常に有用。

まして今の時代所々にレビューが転がってるんで、”サイトを作る”上では手段として有用だと思います。

 

でも僕個人的には絶対にやりたくない。

というよりコタツ記事書き始めたらもうブログやめようと思ってます。

理由は絶対に楽しくないし、読んでくれてる人を騙したくないから。

 

僕のメインブログって9割以上を検索流入が占めていて、SNS流入は極々僅かです。

多くの方が数ある記事の中から僕の書いた記事を読んでくれて、一部の方は実際にそこから商品やサービスを購入したり利用したりしてくれています。

 

これって冷静に考えると凄い事で、少なくとも僕は今までの人生で適当な役に立たない記事のリンクを踏んで購入や利用をした事が1回もありません。

決してコタツ記事が役に立たないとは言わないです。

ただ、やっぱり実際に自分の目で見て耳で聴いて肌に触れた感想って言うのは、コタツ記事じゃ絶対に書けない事。

 

人間の五感から入ってくる情報って脳内で処理出来るよりずっと多くて、その得た情報を更に自分で噛み砕いて理解して再構築して発信するってまさに生きた情報そのもの(だと個人的には思っています)。

だから僕の場合は、僕のブログに掲載されている物=自分が実際に使ったものやサービス。

そうやって蓄積されていった情報ってやっぱりコタツ記事には決して書けないオリジナリティが出ますよね。

情報しかり、画像しかり。

そしてそのオリジナルの情報は意識的にしろ無意識的にしろ読者に届くと思うんです。

 

「あ、この人ちゃんと買ってレビューしてるんだな」

 

なんて思う読者はぶっちゃけほとんどいないと思います。

だってレビュー記事って実際に購入してやってると思うじゃないですか、少なくとも僕はブログを書き始めるまではそれが前提でした。

というかまさか買いもしない物品をレビューするやつが居るなんて思いもしなかった笑。

だから多分、いざ読者に「こいつ買ってもいないのにさも買って使いましたみたいな記事書いたのかよ」ってバレた時の裏切り感は半端ないと思うんですよね。

少なくとも僕はそう思っちゃう。買ってないならそう書いとけよ!みたいな。

 

だからこれからもレビューは買ったもの、利用したものを書くし使ってもいないものやサービスは書きたくない。

例外として比較段階で記事を書く事はあるけれど、それでも僕は実際に体験をしたり実機を触ったりして記事を書くようにしてます。

メインブログのミラーレス一眼の比較記事なんてまさにそう。

あくまで個人的な解釈だけれど、きちんと「比較段階である」旨を記載して書く記事は全く問題無いと思っています。

 

ようはステマ問題と一緒ですね、事実を隠して書く記事。

これから先死ぬまでブログを書くのかいつか飽きて辞めちゃうのか分からないけれど、僕はこれから先死ぬまで嘘偽りを書いたりしたくない。

それはブログを書くのが楽しいからであって、楽しさを犠牲にして書くぐらいならスパッとやめた方が良いぐらい思っちゃう。

 

もちろんこれは僕個人の意見であり方針であり考え方なので万人に受け入れられるとは決して思わないし何が正解かなんて分からない。

けれど、やっぱり読んでいる人を騙しているような感覚が少しでも残るような事は絶対にしたくない。

 

なんてふと思ったり。

おしまい!